<平成29~30年 2年間>
青年部:総括幹事 ブロック:委員
平成29年 1月 青年部の総括幹事
(茶道歴 7年,青年部歴 5年,37歳)
親しい青年部の先輩が部長となり、総括を頼むと言われて、断りきれず、先輩を助けなければ、という思いで総括幹事になりました。
けど、あまり乗り気ではなく、なぜ??という思いの方が強かった気持ちがしまずが、とりあえずは総括になりました。そして総括幹事という立場から、四国ブロックの委員にもなってしまいました。
平成29年に高知青年部のボスがブロック長,全国代表者会議副議長となり、あらゆる面お手伝いが必要な時期にちょうどさしかかった年でした。
平成29年 3月 役員研修会
(茶道歴 約7年,青年部歴 約5年,38歳)
3月にブロック役員研修会があり、善通寺に行きました。
行って何がどうだったということも無いのですが、行ってみれば、顔を知っている人がチラホラいたりと、少しづつブロックに慣れてきたような感じですね。
平成29年 7月 こども茶道教室
(茶道歴 約7年,青年部歴 約5年)
こども茶道教室が高知で開催されて、司会を務めた記憶があります。
暑い中設営を頑張ったことを覚えています。司会をしたことで顔もそこそこブロックで知れ渡ったときですね。
平成29年 10月 県展
(茶道歴 約8年,青年部歴 約6年)
県展に先立ち、倉敷に行って、火だすきの茶碗を買っていました。
総括幹事になったので、県展の道具組に協力しなくてはいけないという思いでした。
道具組は初めてで自分の道具を出すのは、とても緊張した記憶があります。
その買った茶碗が主茶碗となり、誇らしいような気分でした。
ここから茶道具を買っていくきっかけになりました。
平成29年の2月頃に総括幹事になったので、道具組に出せる茶碗が欲しいということを先生に相談したら、楽山焼の茶碗を勧めて頂き、買っていました。
このときの道具組には、火だすきと楽山の茶碗を出して、楽山で行こうという話にもなっていました。
しかし、合箱で極めも無い状態だったので、後日、茶碗が誰の作か窯元で確認してから出したいといい、引っ込めて火だすきに決まったという経過があります。
ちょうどこの頃から、デタラメながらも着物は自分で着ていたような記憶があります。
平成29年 11月 楽山窯訪問
(茶道歴 約8年,青年部歴 約6年)
県展の道具組の経緯もあり、出雲楽山窯で茶碗を見てもらうと空処の茶碗ということがわかりました。ちょうど空権さんがいらっしゃり、空処のもので間違いないということを言ってもらいました。
そのときに、空権さんの奥さんが空権さんの作品を見ていきなさいと言ってくれ、あれやこれやと見ましたが、素晴らしいと思うものの、値段的にとても手がでる代物ではなかったです。
空権さんの奥さんに、若いの(空和)の作品があるので、そちらも見て行きなさいといわれ、空和さん(当時は宏和)の伊羅保茶碗を買いました。
空権さんの茶碗も素晴らしいですが、空和さんの茶碗も素晴らしく、今でも変わらず気にいっています。
平成30年 1月 青年部総会
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,37歳)
平成30年の6月にブロックの50周年記念大会が高知で開催されるため、このときの総会は、リハーサルも兼ねて行われました。総括幹事になっている関係で、ブロック役員席でのお点前をすることになっていたので、この総会でお点前をしました。
ブロック周年がこの年の最大イベントだった記憶です。
平成30年 4月 室戸方面4寺お接待茶会
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
この年は、四国ブロックで進めていたお接待茶会の1巡目を終わらすという目標がありました、ブロック周年が6月に控えるなか、部長がお接待まで手が回らないということでお接待茶会のあらゆる手配を受けて実施した記憶があります。
下見を1月に行き、3月下旬にも行った記憶がありますが、3月下旬は、年度末の疲労のピークだっただけに、ほぼ死んでいたなという思い出があります。
このお接待のときに、着物を自己流で着て行ったときに、着物をちゃんと着れちゅうと、当時のブロック長に言われ、適当に来ていても、人にはちゃんと着れていると見えるものだと思い、以降はお茶会のときには着物で行くようになったことを覚えています。
この行事が始めて、全ての段取りを自分で行った思いである行事です。
平成30年 6月 四国ブロック50周年記念大会
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
ブロック50周年記念大会が高知で開催されました。
ブロック役員ではあるけど、委員なのであまり行事運営には携わってなかったような気がします。
お点前をしたこと、他県の青年部の方と仲良くなれたという思いでがあります。
この直前に先生が体調を崩し、5月・6月と先生がお稽古を休まれた記憶があります。
みんなからはお点前大丈夫と気にされた記憶はありますが、大丈夫じゃなかったところでどうしようも無いと思っていたところ、部長の先生がお稽古を見てあげると言っていただき、1度お願いした記憶があります。他の先生のところでのお稽古というのは緊張感がありすぎて、やりにくかったという記憶がかなりあります。
平成30年 7月 白水窯訪問
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
家にあった抹茶茶碗が砥部焼の白水窯の茶碗であることが分かり、砥部の白水窯に茶碗を持って行って、こちらの窯の作であるか確認に行きました。
行くと、二代目の白水さんが迎えてくれ、初代が作った茶碗に間違いないということを言ってくれ、箱に作った年代と極めを書いてくれました。
昨年の楽山窯に続き、2度目の窯元訪問であり、初めて極めを書いて貰った経験です。
平成30年 8月 青年部臨時総会
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
ここで大きなターニングポイントが発生
次期部長が決まらず、なぜか部長をすることに。
そういうタイプじゃないのになとつくづく思いながらも、しゃーないといつもの発想でやることに。翌年3月には地区大会が控えており、周りは地区大会での部長はちょっとという発想だったのだろうと思います。
とにかく部長をやることを決めた年でした。
平成30年 9月 地区大会リハーサル茶会
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
ここでまたまた大きなターニングポイントが発生
来年の地区大会に向けてリハーサル茶会がありました。
当然、3月には半東をするわけですが、呈茶での半東経験はあれども、お茶会での半東経験はなく、なにもかもがわからずやることに。
色々な先生方から、指導やら、アドバイスを受けて参考になった記憶です。
平成30年 9月 讃岐のつどい
(茶道歴 8年,青年部歴 6年,ブロック歴 1年,38歳)
6月のブロック周年のときに、香川県の青年部の先輩より、9月に開催される讃岐のつどいは来るよね??と念を押されました。
行く気はさらさら無かったのですが、周年で高知に来て頂いている事、なんか押しの強い先輩だったことから、讃岐のつどいは参加することにしていました。
そしてリハーサル茶会で半東として、不十分さを痛感していたので、勉強がてら行って参りました。結果、自然体で話をすることが大事ということに気がつき、カッコをつけず、自分の個性のままで半東をすることにしようと思ったときでした。
平成30年 11月 葵窯訪問
(茶道歴 約9年,青年部歴 約7年,ブロック歴 1年,38歳)
お接待茶会がちょうどこの年に1巡目を終えて、11月に四国ブロックでは高野山にお参りにいっていましたが、私はお参りにはいかず、葵窯に行きました。
葵窯の寒川さん親子とは、意気投合し、窯元でお茶碗を見てはうなり、うなってはまた眺め、そしてうなるという濃厚な時間が過ごせました。
息子さんより翌日は大寄せのお茶会があるということで、表千家の流派でしたが、行って来ました。
楽山窯、白水窯に続き3度目も窯元訪問になりました。
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