<平成31~令和2年 2年間>
支部:幹事 青年部:部長 ブロック:委員
部長になって始めて迎えた総会。
何が変わったかと言うと、総会での茶会での亭主となったこと。
茶席では慣れない半東を務め、無我夢中でした。
席中では、先生方といい感じで会話が進み、まずまずのスタートを切れたのを覚えています。
濃い茶席では、自分の持っていた楽山窯の空処の茶碗が主茶碗で使われたこともあり、話はしやすかったと覚えています。
楽山窯に行き、空処の茶碗であることを見て貰ったことなどを話すと、先生方に極めを書いて貰えば良かったやんかと言われました。
このことを受けて、この年の秋に楽山窯に再び行って、極めを書いて頂きました。
部長1期目最大の試練である地区大会。
青年部は学校茶道と共同で立礼席を受け持つことに。
当然ながら、御家元が立礼席に立ち寄り、正客になるということ。
プレッシャーが無かったとは言いませんが、あまり悩むほどのプレッシャーは無かった気がします。どちらかと開き直った感じで、できることをするという気持ちでした。
地区大会の立礼席での台本作成では、部内であれやこれやと人に文句を付けられたことの方が苦しかった記憶がありますが、一定の成功を納めた感じがあり、今となれば、いい経験であったし、県内で自分の認知度がぐっと上がったことを覚えております。
ブロック行事で香川県琴平町で一泊の行事に行きました。
高知青年部が担当したプログラム部分の説明をしました。
なぜかとても緊張して「しどろもどろ」になった記憶です。
しかも、懇親会ではベロベロに酔いつぶれて醜態をさらす結果に・・・。
恥ずかしながらも、いい思い出です。
新居浜青年部が新居浜支部で月釜の当番をするということで、ご招待がありましたので、早速いったところです。
3月に地区大会に来て頂いたお礼ということもあり、是非行かなくては行けないと思い行きました。
行くと高知と新居浜の違いが分かったり、楽しいお茶席にするために色々な工夫をされていることが分かりました。
行って席に座ると、「お正客をどうぞ」と勧めら、何度かお断りすれども、断りきれない雰囲気があり、人生で始めて正客を務めました。
地区大会等で半東を務めた経験が活き、会話の流れや、誉め方等が少し和かっていたため、先生方のように上品な正客はできないにしろ、身の丈にあった正客で場の雰囲気を温めれたのかな?という気持ちです。
6月のブロック間交流フォーラムにつづき、こども茶道教室に行きました。
ここでは大きいエピソードは無かったですが、こども向けに出されたクイズに参加すると、なぜか優勝してしまい賞品を貰ってしまう羽目に。
あわせて、鰹節けずりが会場の中で恐らく一番上手に出来てしまい、こどもより夢中になって、削った記憶があります。
そして、こども茶道教室でこどもに盆略点前を教える場面では、こどもより指導を受ける羽目に・・・。
(結果的には、こどもが遊びで私を指導していただけで、私の点前は間違ってはいませんでした(笑))
地区大会に間に合うように申請すれば良かったのですが、遅く申請した結果、地区大会に遅れて半年後に、行之行台子が届きました。
次回の地区大会では、淡交会の正会員入会のつどいという場に出れるそうです。
地区大会に出たときに、みんなが少し引くような雰囲気になるかも知れませんが、まぁ仕方のないことです。
この年の総会で主茶碗を空処の茶碗を使い、先生方から極めを書いて貰ったらというアドバイスを受けて、楽山窯に行き、念願の極めを書いて貰いました。
ちょうど、この年の3月に代が空権さんから空郷さんに変わり、極め書きは食う郷さんに頂きました。
あわせて、空郷さんの婿養子である宏和さんが、5月に号を空和にしたタイミングで楽山窯に行けたのは、本当に出会い・巡り会わせを感じました。
またタイミングを見計らい、松江に行きたいと思っています。
過去にいつ出たのかは記憶にないですが、2度目の研究会出場の場が訪れました。研究会に出ると恥をかくのは当然ですが、部長になってから始めて人前で点前をすることになり、大きな失敗をするわけにはいけないという想いがありました。何点かは指導をうけましたが、概ね無事に研究会が終わったことを覚えています。
前回は炉の季節に薄茶平点前をしたことを覚えています。おぼろげな記憶では、平成26年あたりのような・・・・。
今回は風炉で大板の中置の薄茶平点前で出ました。
次出るときは、炭点前になるのか??
地区大会からの縁もあり母校の高専の文化祭での茶会にご招待頂いたので、またまた行くことにしました。
地区大会で支部幹事には、ねぎらいの記念品として商品券を貰っていたので、少し良い抹茶を差し入れに持っていきました。
学生さん達が道具についてあれこれ聞かれることに慣れていなかったので、可愛そうな気もしましたが、勉強にきっとなるだろうと思い、あれやこれやと聞いたりしたことを覚えています。
今はコロナで文化祭の茶会に行くことが叶いませんが、ま行ってみたいものです。
6月の新居浜支部の月釜のときに、西条青年部の方とご一緒になり、11月に西条で月釜があり、青年部が担当するので、来ませんか??と誘われて、「当然行きます」という返事をしていたところ、案内状が届いたので、例のごとく行っていました。
今回は、ブロック長と同じ席になったので、私は次客になりました。
恥をかかずに済んだという安堵感もありましたが、正客となって色々話が出来たらと思うところが本音でしょうか。
ともかくとても楽しい時間を過ごせたこと、新居浜に続き、西条にも行けたので、東予にご縁ができたと感じたところです。
私の師匠が恐らく最後になる当番を受け持ちました。
弟子の自分としても、師匠と茶会に臨むのは久しぶりです。
点前をしたり、半東をしたりはありますが、師匠の背中に付いていき、茶会の準備ができる心強さを本当に感じました。
師匠とまたお茶席に出れるときがあれば、ありがたいものです。
部長となり、総会、地区大会、青年部茶会と3度目の茶会。
ちょうど、平成から令和に変わる年、干支が一巡して子にかわる年ということで、薄茶は干支が勢ぞろいする趣向でしました。
10月以降は、茶道の行事が相次いで、なかなか準備が充分にできない状況の中、なんとか済んだのかな?という感じでした。
11月に西条支部の月釜行って、間もなかったのですが、ご案内が西条青年部より届いたので、早速行っていました。
当日は、支部の初釜とブッキングしており、西条に行ってからの、高知支部の初釜という強行スケジュールでした。
西条の月釜では正客となり、二回目の正客体験でした。
まぁ、ひたすらに楽しかった思い出です。
高知県のとなりと言えば、徳島が地理的に近い感がありますが、距離的には愛媛の東予が最も近い位置関係です。
今後もこのような青年部間での交流が続けれたらと思います。
部長になり1年が経過、部長になって2度目の総会。
会場の手配の関係で、薄茶のみとなった総会。
青年部内がなかなかまとまらない現状で、精神的にきつくなっていたころ。
なんとか無事に済んだという状況です。
2月末よりコロナの状況が悪化し、3月~支部・ブロック・青年部の行事はオンラインを除き、全て自粛により中止。
緊急事態宣言下にあった4~5月は稽古は中止。
5月末に再開しました。
コロナが終わり、変わったことは私自身のモチベーション。
6月よりは稽古場に自分の道具を持ち込み、稽古場の道具と合わせて、稽古を楽しむようになりました。
そして、花を活けることを習得したい想いがあったので、稽古のときには花を持ち込み活けることに。
ヘタクソでも毎月3度活けるようになれば、そこそこにはなるのかな?という風に気楽に感じています。
4月に人事異動になり、職場が変わったわけですが、その職場で茶道やってます的な話をしている中で、社中に新弟子が2名加わりました。
私の職場で一緒だった人とその奥さんと2名が入り、一気に社中のモチベーションがアップ。
師匠の下降気味であったモチベーションも、だいぶ復活したように思います。
令和 2年 8月 青年部臨時総会
(茶道歴 10年,青年部歴 8年,ブロック歴 3年,41歳)
令和3年が青年部の役員改選であったため、8月に臨時総会はなんとか出来ました。
もろもろの事情により、青年部の部長を継続することに、とりあえずは2期4年ということです。
師匠は4期8年というレコード保持者なので、師匠からすれば対したことはないと思っています。
新弟子追加の時期と私が部長2期を務めることが合わさり、師匠のモチベーションが明らかに変わりました。
次代に自分の経験を残すという形になったような気がします。
それらの気持ちに私も大きく影響を受けて、これまで点前を進めるとか、許状を進めることに無関心だったのですが、これを期に点前を一通りするということに方針を変えました。
その結果、自分が稽古する点前の教則を毎月買って行き、事前に一定の予習をして稽古に望むことにしました。
許状としては行之行台子まで進めていますが、小習や茶箱も部分的にしかしたことが無い状況なので、この状況を改善して、一定進めば、許状も1つ進めるようにしたいと思っています。
令和 2年 9月 陶古窯訪問
(茶道歴 10年,青年部歴 8年,ブロック歴 3年,41歳)
平成29年に火だすきの茶碗を購入し、その年の県展の茶会でその茶碗が主茶碗に使われたことがきっかけになり、道具を買っていくことになりました。
自分にとってはその火だすきの茶碗は大きな契機になった茶碗です。
その茶碗の窯元である陶古窯についに行くことが出来ました。
先代は女性で味のある人柄が窯を大きくされたと聞いていますが、その先代は亡くなり、今は小西陶蔵さんが当代となっています。
その陶古窯に行けたのは、昨年の大きな思い出の一つでしょうか。
令和 2年 10月 北村徳斎へ訪問
(茶道歴 10年,青年部歴 8年,ブロック歴 3年,41歳)
出張で奈良へ行き、翌日に時間が取れたので、大西清右衛門美術館,北村徳斎帛紗店に行きました。
大西清右衛門美術館に行くと、コロナ禍での入館に感謝し、入館料も呈茶料も無料という粋な計らいがありました。
コロナが終息した後に改めて行って、ちゃんと入館料を払いたいと思います。
徳斎さんのところでは、150ぐらいの古帛紗から1つ古帛紗を選び、購入しました。多くのなかから自分の気に入ったものを選ぶというのは、工房に行った者の特権ですね。
店舗やネットでは、種類は取り揃えていても、似たものが複数あることはありません。工房へ行くと同じようなものが多くあり、自分の好きなものが多くあるなかで1つを選ぶという贅沢な作業ができます。
やはり工房に行くもんだということをつくづく感じました。
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