山是山水是水(山は是れ山、水は是れ水)の意味は各自で捉えようがあるので、字句の解説は不要というのが本来だが、禅語の趣旨が分からなければ解釈もできないので、参考までに以下を参照。
悟りに至らない段階では当然のことながら山は山、水は水にし
か見えない。しかし、無我の三昧を体得して本来無一物の境地
に至ると、一切が無差別平等となり、山は山でなく、水も水で
なくなってしまう。ところが、さらに修行が深まって悟りの心
さえも消え去ってしまうと、山が山として水が水として新鮮に
蘇ってくる。
ということだそうです。このような解釈もいいけど、私は以下のように解釈します。
山は山で存在しており、水(川とも思う)は水で存在しており、異なるものであるが、自然界においては、山も水も密接に関わっており、無縁のものではなく、本来同じ円の中に存在している。
そのように感じると、山も水も同じものに感じてくるが、山と水の美しさや役割は異なり、共存共栄の関係である。
そして万物全ての物事が此れと同様で、全てに無縁というものは無く、同じ円の中で存在しているが、個々の美しさはそれぞれであり、それぞれであるからこそ、共存共栄ができ、また美しい
「山是山水是水」の掛軸は多くあるけど、私は橋本紹尚氏の筆が素直で力強く、この言葉に合っているように思います。
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